1930年(昭和5年)に屋台から始まり、その後約90年に渡って技術と歴史、そして伝統のある味を守り続けている希少なお店です。
この時代から続いている札幌ラーメンの老舗は、現在いちまるを含めて数店しかありません。

初代渡辺勝井が屋台を引き始めた1930年頃のスープはとんこつベースの一本勝負。
目指す味を出すために研究と苦労を重ね続け、最終的に到達した答えは、血が全て流されるまで徹底的に水にさらし、雑味が出ないように細心の注意を払ってとろ火でクツクツコトコトと12時間以上をかけてじっくりと煮だすという方法でした。

そのこだわりぬいた味は口コミだけで広がっていき、初代が屋台を開く時間になるとどこからともなくお客様が列をなして集まってくるようになります。
現代に比べ宣伝媒体がほとんどないこの時代に、200玉がわずか3時間で捌けてしまったといいます。
どれほどの人が屋台が出るのを毎日待ちわびていたかが伝わってくるエピソードです。

二代目渡辺哲夫が後を継いで屋台を引き始めたのは1954年頃から。
初代の味を頑なに守りつつ、高度成長期に伴う世の中の変化に対応して、新しいことへの挑戦も忘れませんでした。
その味はさらに評判を呼びましたが、盛況のためほとんど休むことが出来ない中でお客様のためにと無理を続けた結果、とうとう体を壊してしまいます。

三代目渡辺巖が引き継いだ後も繁盛ゆえの目が回るような多忙さへ対応するのが難しくなってしまったため、東急百貨店の地下に店舗を構えることになりました。
屋台から店舗になっても人気は衰えを見せず、東急百貨店の社員でさえ夕方にならないと座れないほどだったといいます。
しばらくして10階のレストラン街に移って順調に営業を続けますが、年齢的な事情もあり、一旦店舗をお休みしていました。

その後、暖簾を守ってもらいたいという思いから、(株)フーズフィールドに屋号を譲渡します。
そして現在は四代目。
屋台の雰囲気を残した木目調の温もり溢れる店舗で、初代から続く盛況ぶりもそのままに、こだわりの営業を続けています。
二代目、三代目の頃からのお客様が未だに訪れるほどに愛され続けている技術と伝統、そして歴史をしっかりと守りつつ、今日も新しいことに挑戦し続けています。